屋久島晴耕雨読

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<<   作成日時 : 2006/02/23 21:36   >>

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俳句三昧

 最近、俳句にはまっている。わずか十七文字の中で何が表現できるのか、その制約と書の如き空白の存在が実に面白い。そこで今回は、俳句随想ということで、お付き合いを。


■初春

   初春や 今日は一日 樹の下で 

 人間は「逆立ちした木だ」と云った人がいた。うまいことをいうものだな、と思う。
 「動物界は、植物界を支配している」という名言を吐いた人もいる。
 自ら切り捨てた葉で、自らを培っている、そんな樹の下で、何もしないで今日一日を過ごせたらと思う。年のあらたまった、せめて今日だけでも。
樹にもたれて坐り、ゆったりと心をひろげて……。
 人は死ぬまでに二度、「木の声」を聞くチャンスがあるというが、行く先知らずに走り続ける人類という生き物は、いつになったら「その声」を聞くのだろうか。


■サシバの渡り

   風を読み 真一文字に 鷹渡る

 朝六時、島で羽を休めていたサシバが一斉に飛び立ち始めた。まだ薄暗いビワンクボ橋の所から眺めていると、森から飛び立ったものや永田方面から山を越えてきたものが、羽ばたきながら頭上を越えてゆく。どうやら琴岳上空に上昇気流が発生しているようだ。双眼鏡で除くと、既に百羽前後のサシバが集結して、朝焼けの中で乱舞している。右旋回するもの左旋回するものが入れまざって、それぞれに大きな輪を描きながら、空の高みへと昇ってゆく。まっすぐに広げた翼が朝日に赤く染まって輝いている。
 わずか三十分ばかりの間に、五百羽ほどのサシバがすべるように南へと飛び去っていった。
 サシバの渡りを見るたびに、想い出す唄がある。それは「サシバよ渡れ」(詩= 笠木透。曲=坂庭省吾)という唄。名曲である。
 そして想い出す人がいる。「サシバの渡りに魅せられて」という観察記録の著者、永里岡先生。ぼくが「先生」と呼ぶ数少ない人の一人であるが、今はもうこの世にはいない。
 人の世はあてどなく移ろってゆくのに、サシバは今年もまた確かにやってきて、そしてはるか南の地へと渡ってゆく。生き物の営みって凄いなあと思う。
 ヒトって奴は、どこまで「生き物の域」から外れていくのだろうか。俳句を作ることによって、少しでも軌道修正が出来ないものかと思う。しっかりと自然を見つめることによって、そして色んな生き物たちに、この地球での生き方を教えてもらうことによって。

   
■裸木

   骨格を 曝して冬の 木々立てり

 北西の風が吹き荒れると、木々はあっという間に、素っ裸になってしまう。なぜ木は、冬になると裸になるのか? それは、「寒い」からではない。その時期、「降水量」が少なくなってしまうからだ。収入が少なくなれば、支出を制限するしかない。   
 落葉樹は、節約家だ。葉っぱ一枚とってみてもそうだ。ツバキやシャリンバイなど照葉樹のものに比べると、ずいぶん安普請である。わずか数ヶ月で用済みとなるのだから、薄っぺらなものでいいのだ。
 落葉樹の、そんな環境への対応の仕方を見ていると、ぼくら人間って奴は、そんな「当たり前」の適応の仕方から、ずいぶんかけ離れたところまで来てしまったものだ、としみじみと思ってしまう。どの段階で、ぼくらはそんな道を選んでしまったのだろうか。環境に自らを適応させるのではなく、環境を変えてしまうという道を。快適さを追い求め、自然から遠ざかれば遠ざかるほど、ぼくらの未来は閉ざされていくというのに……。
 裸木の凄さはそれだけではない。それは冒険的な生でもある。裸になるということは自らを曝け出すということだし、自分のよって立つ足許に光があふれるということは其処を他の生き物のために開放するということなのだから。
 裸木の謙虚さと冒険、そこには、これからぼくら愚かな人間が永続的な「生」を希求していくためのヒントが隠されているような気がする。


■水鳥

     カイツブリ 水中をゆく 速さかな 

 ぼくは、川のほとりに住んでいる。朝に昼に夕に、川を眺めて暮らしている。
 夏、川は人間の遊び場としてにぎわう。水浴びする子どもたち、魚釣りする老人、カヌーに乗る観光客、ドラゴンボート、そして夜の流れ船……。
 だが冬になると、一変して川は静けさを取り戻す。川本来の姿になる。人気の消えた一枝乱れぬ川面で、動くものと云えば水鳥だけだ。
 ぼくの住む宮之浦川下流域で見られる水鳥には、コガモ、カイツブリ、ウミウ、チドリガモ、ホシハグロ、キンクロハジロ、マガモ、カルガモ、オナガガモなどがいるらしい(水野明紀氏談)が、ある日、古い橋の上から川を眺めていて、カイツブリのびっくりする光景に出会った。 
 その古い橋は、昭和の初期に架けられたもので、ぼくの最も好きな場所のひとつである。そこに立つとこの島の水の循環がよくわかる。見上げれば緑したたる山が眼前にあり、振り返れば青い海が広がっている。水はその海から空へとのぼり、山へ降り立ち、川となって、再び海へと流れてゆく。
 その橋の上から眼下の川を見つめていた時のこと。水底まで見える透明な流れの上に、カイツブリがプカプカと浮かんでいた。なんとも長閑な光景だなぁと思っていたら、ちょうど水中に没する ところだった。下手な潜り方だなぁと思っていたら、なんと、水底の地面をパッ、パッ、パッと蹴って滑走し加速をつけたかと思うと、まるでコンコルドのような恰好をして水中を飛んだ。その驚くべき迅速さが、カイツブリの本来の姿なのかもしれないが、思わず唸ってしまった。
 考えてみれば当たり前の話かもしれないが、水鳥の本来の姿は、水中にあるのである。

 
■屋久島木端句会

   年来る 新しき村を 作らん

 二〇〇三年十月末、「屋久島木端句会」なるものが始まった。「始まった」と他人事風に云うのは、「始めた」という意識がなく、まさに「始まった」というのが実感だからである。というのも、そもそもの発端は、姫路に「骨派句会」というものがあり、その中から発生した分子が、いつのまにか屋久島で勝手に増殖し始めたからである。
 姫路「骨派句会」は、版画家岩田健三郎さんの呼びかけで始まった句会で、なぜ「骨派」と称するようになったかの謂れが、彼が発行する句誌「旬彩日和」の扉に書いてある。
 『宮武外骨という人がおられた。香川の人。明治・大正・昭和を生きたジャーナリスト。「滑稽新聞」・「面白半分」などの紙・誌を発行。その外骨サンの生家を訪ねた夜、外骨サンに敬意を表して、骨のつくあだ名を付け合った。上田さんは「恥骨」、美樹さんは「豚骨」、そしてぼくは軟弱者の「軟骨」と。
 いい大人になって、友人達からもらったこのあだ名を活かせないか……と、俳句の俳号に。
 「俳句など作ったこともない」と言う友人知人を誘い、「骨」のつく俳号を付け合って、今四十八人……。』
 てなわけで、屋久島木端句会のメンバーも皆んな、俳号に「骨」がついているのである。岩田健三郎という魅力的な人物にそそのかされて……。
 みんなまだ、初心者マークをつけて四ヶ月ほどの未熟者ばかりだが、数回催した句会の中から、めぼしい句を拾って、自己紹介の替わりとしたいと思います。

 ▼乱骨=荒田眞和
   生き方に 大根おろしの 辛味無し
   さざ波の ゆりかごに乗り 浮寝鳥
   藻屑蟹 山より出でて 皿の上
 ▼風骨=荒田冬子
   万両を 花瓶に挿して  「億」を待つ
   藻屑蟹 隠れたつもりが 籠の中
   藻屑蟹 無駄毛の処理に 無頓着
 ▼怒骨=笠井耕之
   前岳に まだら雪あり 春浅し
   春浅し 枯れつつ生きる 雑草よ
   ラガーマン 一歩踏み出す その勇気
 ▼彩骨=寺田文人
   縁側で 洗濯物と 日向ぼこ
   僕らの人生 ラグビーボール みたいだね
   息子達 子どもは風の子 咳するな
 ▼朱骨=長井愛子
   水鏡 紅葉写して 対となる
   引き植えの 大根見事に 育ちけり
   オシドリも たまにはプイと 横を向き
 ▼遊骨=中島セツ子
   先人の 炭焼きがまの 森静か 
   つわの花 宵の灯りを 点しける
   去年今年 輝く瞳 火のごとく
 ▼腐骨=樋口耕太
   海にいて 山思うかな 藻屑蟹
   苔むした 炭焼き窯や 何語る
   浅き春 砕ける波の やわらかさ
 ▼骨汨=山下大明
   そこに立つ しぐるる森の 白骨樹
   新年は オガタマの花の 香りして
   日向ぼこ 体内時計 ほどけゆく
 ▼水骨=山下育子
   枯れ山を 墨絵に変える 時雨かな
   屋久島路 車窓に流れる つわの花
   初春の 箱根に燃える 武者の意気
 ▼幻骨=長井三郎
   風も染め 水音も染め 谷紅葉
   咳ばらい まずひとつして 山に入る
   春近し 山正坐して 南向く

 屋久島木端句会は、他にも鷲尾紀子さん(飛骨)、寺田幸代さん(天骨)、浦田剛大さん(まだ骨無し)等が新加入。鳥インフルエンザに負けず劣らず、目下じわじわと感染範囲をひろげつつある。ご注意を。
 

                                季刊「生命の島」第67号(2004年6月)掲載


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